20180105

書いては消し、書いては消しでぜんぜんブログが更新できていませんでした。今年はもう少し更新できるといいなあと思います。

2017年は、ほとんど本が読めなかった。私は本で読んだことを詳細に記憶していられるタイプでもないし、時代背景の考察もできなければ伏線が鮮やかに回収される展開に興奮するタイプでもない。じゃあ、印刷された言葉を読んでどう受け入れているのか、というようなことを改めて考える。

少し前にこんなことをツイートしていて、その時からずっと、今年本が読めていないという異常事態について焦ったり悩んだりしていたのだけど、未だそれは解決する様子もない。

 幼いころから本を読む習慣があった。記憶している限り、幼稚園の頃から絵

本が大好きだった。「ぐりとぐら」シリーズ、「こぐまちゃん」シリーズ、「14ひき」シリーズ、もう本当にたくさんの絵本を母は買い与えてくれた。

とくに、記憶に残っているのは「ももいろのきりん」という児童書で、今検索してみると小学校2年生くらいが、読むには妥当な年齢だそうな。私はこの絵本がなんとなく怖かった。私にとって、読むのがつらい、悲しい気持ちになる絵本だった。

ももいろのきりん (福音館創作童話シリーズ)

ももいろのきりん (福音館創作童話シリーズ)

 

るるこという、わりと威勢のいい、というか絵本の中で見かけるにはやや乱暴な言葉づかいで、いわゆるじゃじゃ馬な女の子が、クレヨンで描いたキリカというももいろのきりんと冒険に出かけるお話で、出かけた先でいろんな動物たちとも出会い、まあともかく最後はハッピーエンドなわけです。

で、このどこに悲しさがあったんだという話なんですが、小学校2年生ともなると、絵に描いたきりんがしゃべって動くことなんてありえないことは分かってるんです。だから、それが悲しかった。るるこが描いたキリカそっくりに私が描いたももいろのきりんは、うんともすんとも動かない。だからきっとこの本に書いてあるお話はるるこの夢の中か、はたまたサツキとメイにとってのトトロのように、子どものときにだけあなたに訪れる不思議な出会いなんじゃないかと想像するわけです。するともう、力強いるるこのせりふもどこか悲しく聞こえてしまうんです。もちろん、今でさえこんなことを語られたところでうまく伝わらないかもしれませんが、当時はまったく説明ができませんでしたから、子どもの頃の自分の抱えていた得体の知れない恐怖、みたいなものを今の私が振り返ってできる限り説明してみたまでのこと。いつか彼女たちに訪れる別れ、いつか魔法が解けて元の紙に戻ってしまうキリカを、その時るるこはどう受け入れるのか、それを想像しては涙が出そうになっていた。覚えてないけど、実際には泣いていたかもしれない。

私の読書における興奮や、気持ちの高揚に関してはわりと「ももいろのきりん」が原点になっている気がする。いつか終りがくるかもしれない時間、二度と戻ってこない瞬間、そういうものをさりげなく切り取った作品が好き。日常の会話ひとつとっても、同じ日、同じ時間に同じ言葉で同じ相手と話ができるなんてことはありえないわけで。で、長い目で見れば恋人も友達も夫婦も兄弟姉妹も会社の同僚も親兄弟もいつかはみんな必ず死ぬわけですよ。そう思うと途方もなく悲しくなったりする時がある。理由も出口もない悲しみ。何もない真っ暗な世界に、物語は接続しているから怖い。でも、そんな途方もないところに突き落とされてしまうほんの一瞬手前に、体が勝手に震えるくらいの読書体験があるわけです。だから、本を読むことをやめられない。

と、ここまで書いてきて、読書への情熱がむくむくと湧き上がってきたので帰りに本屋さんに寄ってみることにします。非常に個人的で感覚的なお話にお付き合いいただきありがとうございました。