働くことを考える

ぱっと思いついたらすぐに行動するとか、自分の知識のなさ思慮の足りなさ考えの甘さをさらけ出して丸腰で誰かに助けを求めるとか、大人になればなるほど難しくなっている気がする。

それはやはり自分に対する自信のなさからくるのである。小学生、中学生、高校生、大学生のうちは「まだ何者でもないけれど、何者かになれるかもしれない」自分を根拠なく信じていたのだろうと振り返ってみて思う。

でも、大学を卒業してなんとなく会社に入り、だんだんと「はて私はこれでいいんだっけ」という不安が日ごと大きくなっていくのだ。別に、億万長者になりたいわけではない。でも結婚をした以上少なくとも今後生まれてくることがもしかしたらあるかもしれない子どもに不自由な思いをさせたくないし、またオットとの関係においても万が一この先お互いあるいはどちらかの気持ちが離れてしまった場合に、お金のことがネックになって嫌々ながら一緒に暮らしていくなんて不幸せなのでいやだ。そうやって考えると、一人で生きるのには充分それに加えて何かしら不測の事態が起こった時でもなんとか対応できるくらいのゆとりは持っていたい。だから現実の生活と天秤にかけて、夢や楽しいことを仕事にしたいという風に無邪気には発言できない。

新卒で入社した会社でも、人並み以上に楽しくまた誰かの役に立てるという仕事をしてきた実感はあった。でも、自分が本当に楽しくて幸せなことはどこかで仕事とは切り離さなくてはいけないという勝手な思い込みがあった。だから、お客さんや会社の中の上司や先輩、一緒に仕事をする人たち、そういう周囲の人たちにどれだけ自分が貢献できたかということが自分のわずかな自信になっていたように感じる。でも、今、きっかけがあって新卒からお世話になっていたところとは別の会社で仕事をし始めた私は、自分という個人の能力だったりそこから生まれる自信というもののなさに打ちのめされているのだ。

話は変わって私のオットは仕事について「自分が楽しい・面白いと思えるかどうか」を重視するタイプだ。以前からこの仕事に対する心構えみたいなものには私と夫の間に大きく違いがあった。だから、「でもさ、誰かの役に立ちたいって思えることはすごくいいことだけど、それが実現できなかったり求められていない状況にあったらきみはどうするんだろうね、すごく落ち込んだり悲しくなるんじゃないかと心配」というようなことを言われ続けてきた。正直に言って、仕事の成果としてオットも含む同世代の人たちと遜色なくやっている自信があったから、以前は「この人はなにを言ってるんだろうか、わがままやなあ」くらいにぼんやり思っていた。でもオットの言っていたことの意味が今になってやっと分かる。

私はこれまで身の回りの関係者という意味ではものすごく恵まれていて、関わるみんなが楽しく仕事をしようとか、何かしてもらったことへの恩義はきちんと返そうとか、そういう当たり前のことを大事にする人たちが多かった。もちろん、人数にすればそれと同じくらいに意地悪だったり約束を守らなかったり嘘をついたりずるい人はたしかにいたし傷つけられることも多かったですよ。でもイメージ的には自分から近い円の中にはほとんど前者の人たちがいて、その外側から後者の人たちが攻撃をしかけてくるようなそんな塩梅だった。それはとても守られた状況だったのだなあ。人に嘘をつかないようにするとか、ずるをしないとか、せめて自分の好きなこと・人に対しては自分の持っているものを死なない程度に注ぎこみたいとか、そういう私の小さなこだわりを周囲の人が尊重してくれていたのだ。

 私はいつでもまっすぐで正直できちんとしていて、誰にどう見られても正しい人間では決してない。でも、自分が好きなことや人に対してはずるしたくないし、嘘もつきたくない。私に対して心を通わせようとしてくれる相手に対して、できる限りの対応をしたい。それは絶対にこれからも変わらないことだし、変わりたくない。

じゃあ、好きなことってなんだと言われたら、やっぱり言葉で表現することや表現されたものを読むことだ。私の場合は日本語しかほとんど読み書きできないので言葉といっても日本語のみということになるが。思い返してみれば、小さいころから変わらず続けているのは読書だけだ。映画や、美術館に行くことや、音楽を聴くことも好きだ。夜お布団に入って、このまま眠ったらどうか起きることがありませんようにとお祈りすることは子どもの頃から一度や二度ではなかったし、今でもたまにあるけれど、これまでこの世で生きていた・いる誰かが信じられないような熱量で生み出した作品たちにずいぶんと助けられた。

あとは、いろんな人が関わりあって、ひとつの物事をつくりあげていく過程も好き。そういうことが、仕事の中でいま現在は不足していて心がるんるんしないんだよな。前の会社と同じ業界ではあるが、これまで自分が習得してきたものとは違う能力を求められるし、仕事のやり方も違う。今はまだ、自分の知識とか経験や度胸が足りていなくて面白味を見つけるに至っていない。

今までは、仕事は好きなことから少し離れててもいいと思っていた。今も思っている。それはやっぱり先に書いたように生活つまりはお金が関係するからだ。でも、結婚をして、今はまったく考えてもいないけれど、もしかしたらこの先子ども持つかもしれないということもひとつ想像してみたら、私は自分の仕事そのものを楽しんでいられるだろうかと不安になる。べつに楽しんでいなくてもいい、心身健康に毎日過ごすことを続けていけるのだろうか。独身なら、夫婦だけなら、よほどの事情がない限りは自分の稼いだお金は自分のために使える。貯金とか保険とか、すぐ目の前に現れるなにかではないものの場合もあるが、1万円を切るくらいのものならそんなに悩まなくても買える。ささやかではあるものの、給料日の焼肉だとか、ミッフィーの限定フィギュアを買うとか、本屋で好きなだけ漫画や小説を買うとか、気心の知れた人とゆっくりお酒を飲むとか、そんなことができれば私のストレスはそれなりに解消できていた。仕事で感じたちょっとした、本当に些細なことの積み重ねで心身疲労していても、週末のあれこれでそれなりにやり過ごせる。では、子どもができた場合にそのままでいられるだろうか。家族や友人と過ごす時間をときどき犠牲にすることもある仕事というものを、子どもが生まれたり親の介護やなんかで今以上の制限が発生したときに、やっていくことができるのだろうか。

ともあれ私は今あまり仕事でうまくいってないという現状があって、でもそれは自分の仕事に対する考え方とか、これから先の選択肢をどう作っていくのかということを考えるきっかけになっていて、でもそれって実はすごく苦しい。これまで命を懸けるほどではないが、目先の睡眠や健康とかオットや友人との時間なんかの優先順位を下げることはするくらいの覚悟で向き合ってきたこれまでの仕事や、それによってほんのわずかに積み上げることができた自信が、ちょっとしたことでがしゃんとなぎ倒されてしまう瞬間もある。だから、いつかもう少し何年か先の私がこれを見て「あの頃は大変やったけどまあなんとかなったよ」とおせんべかじりながらだらした感想を述べられるようにしたいものです。だから、また今までとは違う積み木を見つけていかにゃという気持ち。これは個人的かつまだまだ弱弱しい決意表明ではあるけれど。